【カウンセラーは謙虚な姿勢で自己一致を大切に、在り方にウソがない人でなければ信用されない】
世間ではカウンセリングやコーチ、スピリチュアルが
ごちゃ混ぜになっています。
遠方の方から『どんな先生に付けばいいと思いますか?』
との質問を受ける事があります。
また『私がいま付いている先生は大丈夫なんでしょうか?』と聞かれる事も。
その返答として、私には珍しくFacebook友達の「藤下あやこ」さん
とのやり取りを紹介させて頂きます。
長文なので興味のない方はスルーして下さい。
『アマチュア』『プロ』『プロぶってる人』『有害なプロ』の違いや、
『メソッド』や『スキル』を習っているのか?それとも『在り方』を
習っているのか?を感じ取って頂きたいです。
カウンセラー、コーチ、コンサルタント、自己啓発、スピ系講師、
どんな講師にも共通して言える事です。
私は精神科医や臨床心理士と研究する会にも参加していますし、
大学での講師や、各種専門家との共催イベントも行ってきました。
もちろん私が一緒にやってる方達は誠実な優しい方ばかりです!
しかしながら、人間の心を扱うこの業界!
資格がそのまま実力かと言うとそうでもない。
ではSNSなど過剰に煽って目立ってる方が良いかと言うと、それも危ない。
とてもじゃないけどお薦め出来ない方向へ行かれて
カモにされている方が多いのも事実!
何度も痛い目にあってる方、いまいち違和感を抱えながら
何かに参加している方は要注意。
下記の自己啓発系を長年見てきた藤下さんの言葉をよく受け止めてみて下さい。
ごちゃ混ぜになっています。
遠方の方から『どんな先生に付けばいいと思いますか?』
との質問を受ける事があります。
また『私がいま付いている先生は大丈夫なんでしょうか?』と聞かれる事も。
その返答として、私には珍しくFacebook友達の「藤下あやこ」さん
とのやり取りを紹介させて頂きます。
長文なので興味のない方はスルーして下さい。
『アマチュア』『プロ』『プロぶってる人』『有害なプロ』の違いや、
『メソッド』や『スキル』を習っているのか?それとも『在り方』を
習っているのか?を感じ取って頂きたいです。
カウンセラー、コーチ、コンサルタント、自己啓発、スピ系講師、
どんな講師にも共通して言える事です。
私は精神科医や臨床心理士と研究する会にも参加していますし、
大学での講師や、各種専門家との共催イベントも行ってきました。
もちろん私が一緒にやってる方達は誠実な優しい方ばかりです!
しかしながら、人間の心を扱うこの業界!
資格がそのまま実力かと言うとそうでもない。
ではSNSなど過剰に煽って目立ってる方が良いかと言うと、それも危ない。
とてもじゃないけどお薦め出来ない方向へ行かれて
カモにされている方が多いのも事実!
何度も痛い目にあってる方、いまいち違和感を抱えながら
何かに参加している方は要注意。
下記の自己啓発系を長年見てきた藤下さんの言葉をよく受け止めてみて下さい。
【藤下さんのコメントから】
私は啓発業界に関わってた事があるのですが、
特に独立系講師の方が「俺はこれでやれたんだから誰でもやれるはずだ、
できないのはダメな奴だ、できない理由を述べるのは変化を拒んでるからだ」
という事実誤認をしている場合がよくありました。
自分がそうだから全人類そうだって認識をもって、
他人を理解する精度が低いまま、人の支援を適切にするのは難しいはず。
一般人同士の関わりならそれを通じて互いに回復や発達するで良いけど、
お金もらうなら、相手にピタリと合わせる能力が無きゃマズいと思いました。
けどそれもプロセスなんでしょうね。
そういう業界では、たまたまそのメソッドに当てはまった(と思った)人だけが
ついて行き、合わなくなった段階で黙って離れて行く。
人につくんじゃなく、メソッドについているから、
結局互いに「自分のメリットになる部分でだけ関わり、
噛み合わないところは掘り下げずサヨウナラ」で、
講師含めて皆さん本当は淋しさを埋められないまま、笑顔をつくり、
はらにも落ちてない意識高げなフレーズを唱えて、出来た人間を装う世界で。
その人達は、人間関係とはそういうもんだと思ってるし、そういう関わりですら、
人生で一番濃い関係を築いた!と認識してたりする。
要するに、そもそも日常の中で、周囲と愛情などのエネルギーを
受け渡し合えてない事、・・・
「相手が自分に都合良いか」でなく、「相手の存在そのもの」と
関わる姿勢を知らない事が問題なんでしょうね。
青い鳥は自分ちに居るんだけど、世界一周してこないとそれがわからない。
啓発業界のある層がいくら本質論に至らなくても、そういう営みが
その世界一周のプロセスなんだからこれはこれで良いのかな、
と最終的には思いました。
さて如何でしょうか?藤下さんの許可を取り引用させて頂いています。
【講師含めて皆さん本当は淋しさを埋められないまま、笑顔をつくり、
はらにも落ちてない意識高げなフレーズを唱えて、出来た人間を装う世界】
強烈な一言ですが、まさにこの『装う世界』にハマっている方が多いのです。
また『装いたい人』を狙う商法もたくさんあります。
誰もが学ぶ過程で『アマチュア』から『プロぶってる人』になり、
そして『プロ』から『熟練されたプロ』へ進む過程があります。
成長のプロセスを眺める視点で見れば、
どの先生もそれぞれのレベルで頑張っています。
しかし、『プロぶってる人』から『有害なプロ』になると、
寛容にもなっていられません。
『素人さん』を頭ごなしに潰す行為や、詐欺的な行為は、
『それもまた必然』と分かっていても見てて良い気分にはなりませんね。
やっとの思いで助けを求めてきたクライエントさんのトラウマを
更にトラウマ化して、その後処理をしないまま人間不振、
カウンセラー不振になった方がくると、重症化している為、
クライエントさんは更に時間もお金もかかります。
私自身も、私の講座の受講生も、講師側はどこまで学ぼうとも
謙虚に自己一致が大事ですし、在り方にウソがない人間で
ありたいなぁと思います。
私の受講生は命がけで学んでいますし、自分の人生に対して
ウソがない自己開示をしていますから心配していませんが。
正直だからこそ自己に直面する!という事は多々あります。
乗り越えないから生きる事が出来る方もOK。
そこを乗り越えた世界を目指すのもOK。
その時が来れば、否が応でも選択を迫られます。
特に独立系講師の方が「俺はこれでやれたんだから誰でもやれるはずだ、
できないのはダメな奴だ、できない理由を述べるのは変化を拒んでるからだ」
という事実誤認をしている場合がよくありました。
自分がそうだから全人類そうだって認識をもって、
他人を理解する精度が低いまま、人の支援を適切にするのは難しいはず。
一般人同士の関わりならそれを通じて互いに回復や発達するで良いけど、
お金もらうなら、相手にピタリと合わせる能力が無きゃマズいと思いました。
けどそれもプロセスなんでしょうね。
そういう業界では、たまたまそのメソッドに当てはまった(と思った)人だけが
ついて行き、合わなくなった段階で黙って離れて行く。
人につくんじゃなく、メソッドについているから、
結局互いに「自分のメリットになる部分でだけ関わり、
噛み合わないところは掘り下げずサヨウナラ」で、
講師含めて皆さん本当は淋しさを埋められないまま、笑顔をつくり、
はらにも落ちてない意識高げなフレーズを唱えて、出来た人間を装う世界で。
その人達は、人間関係とはそういうもんだと思ってるし、そういう関わりですら、
人生で一番濃い関係を築いた!と認識してたりする。
要するに、そもそも日常の中で、周囲と愛情などのエネルギーを
受け渡し合えてない事、・・・
「相手が自分に都合良いか」でなく、「相手の存在そのもの」と
関わる姿勢を知らない事が問題なんでしょうね。
青い鳥は自分ちに居るんだけど、世界一周してこないとそれがわからない。
啓発業界のある層がいくら本質論に至らなくても、そういう営みが
その世界一周のプロセスなんだからこれはこれで良いのかな、
と最終的には思いました。
さて如何でしょうか?藤下さんの許可を取り引用させて頂いています。
【講師含めて皆さん本当は淋しさを埋められないまま、笑顔をつくり、
はらにも落ちてない意識高げなフレーズを唱えて、出来た人間を装う世界】
強烈な一言ですが、まさにこの『装う世界』にハマっている方が多いのです。
また『装いたい人』を狙う商法もたくさんあります。
誰もが学ぶ過程で『アマチュア』から『プロぶってる人』になり、
そして『プロ』から『熟練されたプロ』へ進む過程があります。
成長のプロセスを眺める視点で見れば、
どの先生もそれぞれのレベルで頑張っています。
しかし、『プロぶってる人』から『有害なプロ』になると、
寛容にもなっていられません。
『素人さん』を頭ごなしに潰す行為や、詐欺的な行為は、
『それもまた必然』と分かっていても見てて良い気分にはなりませんね。
やっとの思いで助けを求めてきたクライエントさんのトラウマを
更にトラウマ化して、その後処理をしないまま人間不振、
カウンセラー不振になった方がくると、重症化している為、
クライエントさんは更に時間もお金もかかります。
私自身も、私の講座の受講生も、講師側はどこまで学ぼうとも
謙虚に自己一致が大事ですし、在り方にウソがない人間で
ありたいなぁと思います。
私の受講生は命がけで学んでいますし、自分の人生に対して
ウソがない自己開示をしていますから心配していませんが。
正直だからこそ自己に直面する!という事は多々あります。
乗り越えないから生きる事が出来る方もOK。
そこを乗り越えた世界を目指すのもOK。
その時が来れば、否が応でも選択を迫られます。