カウンセラーがクライエントに足を掴まれ溺れる仕組み

私が小学年の時の話しです。
泳げる同級生が、泳げない友人を助けようとして、亡くなってしまいました。
しかも、溺れていた友人は一命をとりとめ、
助けようと海に飛び込んだ友人だけが不運にも亡くなってしまった。
この後、何が起きたでしょうか?
1人の男の子が亡くなったという事実。
その悲しみより衝撃的な事が、その後に起きたのです。
それは…、葬儀の会場で、亡くなった友人の親の『憎悪の念』が爆発したのです。
「アナタの子供が溺れなければ、ウチの子が死ぬ事はなかった。
なぜアナタは平然としていられるのか?
アナタの子供のミスが、ウチの子供の死を招いた。
その自覚があるのですか?」と
大人達が凄い剣幕で繰り広げる愛憎劇・・・
詳しい描写は、投稿の趣旨とは合わないので、控えますが
たくさんの小学生の記憶に、
凄まじいトラウマ級インパクトととなる影響を与えました。
自分が溺れそうな泳力の方が、溺れている人を助ける事は不可能に近いです。
また多少泳げるからといって、本気で溺れて暴れている人を助けようとすると、
かえって引きずり込まれ、命を落とす事があります。
日常の人助けや、誰かの面倒をみる事、カウンセリングや対人援助職の方も同じです。
自分が泳げて、なおかつ余裕がある分しか、相手を助ける事が出来ないのです。
しかしながら、自分が自爆してまで、誰かを助けてしまうとか、
助けてもしょうがない人(依存され死ぬまで吸いとられる)ような人の面倒をみてしまう…
なんて状況になってる方も多い。
ぶっちゃけ私もそうでした。
そう洗脳をかけていたのは母からの教育です。
ありがたがられる事も多いのですが、依存してくる方を益々自立困難にした事もあります。
この様な人助けは、生半可な優しさや、要らぬ手助けで、
個人だけでなく、全体の事態を悪化させ、迷惑になってる場合もあります。
「人助けをしたい!」
その気持ちは素晴らしいと思います。
私がカウンセリングを学んだ理由も、そこがスタートでした。
しかし、最初に直面するのは『自分がたいして泳げないのだ!』と言う事実です。
また出来る気になっている初学者は
『たいして泳げないのに泳げる振りをしていた』という事にも直面します。
ここに気が付いてありのままの自分を受け入れ、真剣に学習に励む方は、
自己一致しながらプロの道へ入ります。
しかし自分の不甲斐なさを受け入れられず、
『あの人が異常だったのだ』
『あの人が頑固過ぎたのだ』と
全てを相手(クライエント)のせいにしたり、
泳げる振りを続ける不安を消す為に、泳げる振りの集団演劇サークルに入会する方もいらっしゃいます。
※これはこれで、その様な段階を踏む必要がある方もいますので、否定をしている訳ではありません。
さて、私がこの投稿でお伝えしたい事は、
自己不一致な在り方から出る考えや行動は、実際に起きる出来事よりも、
事態を悪化させると言う事です。
自分を誤魔化し逃げ切っても、周りや子々孫々に影響が出ます。
上手く逃げ切っている様に見える方も、大体が違う階層の問題となって表れるので、
実際は逃げきれてはいません。
違う階層のメッセージは、因果関係が見えにくく複雑化し、本人も気が付きにくいのです。
上手く逃げ切ったかのように見えても
やがてその結果が、また自分に帰ってくるのです。
己を知る!
自己一致する!
地味な事ですが、相手をどうこうする前に必要なのです。
人助けしたい、立派な子供に育って欲しい、夫婦円満でありたい、
家族円満でありたい、世界平和を願っている。etc
それらの思いは、もちろん素晴らしい。
しかし、その思いだけじゃ難しいのです!
逆効果にすらなる。
愛が憎しみに変わることすらある。
にわか仕込みのスピリチュアルや、単発のカウンセリングスキル、
借り物の聖人の名言などではなく、ちゃんとその仕組みを学習して欲しい。
私の願いです。
・・・
・・
あ~~、今・・・・
ここまで書いて気が付きました。
これ、私の母に言いたいセリフだわ。
『アナタ(母)が周りの人の幸せを願う程に、事態が悪化している事に気が付いてよ!』
『良かれと思ってやっているけど、悪循環になっているものに気が付かないと現実は変わらないよ!』と
人助けの精神は素晴らしいのに、上手く行かない人に向けて投稿しようとしたのですが、ありゃりゃ。
こりゃ、私の母じゃないの!
皆さんに余計なもの読ませてしまったかな?
ごめんなさいね。
あ~~
母にも、泳げる振りする宗教やスピの団体ばかり通わないで、
ちゃんと学んで欲しかったなぁ。
泳げる同級生が、泳げない友人を助けようとして、亡くなってしまいました。
しかも、溺れていた友人は一命をとりとめ、
助けようと海に飛び込んだ友人だけが不運にも亡くなってしまった。
この後、何が起きたでしょうか?
1人の男の子が亡くなったという事実。
その悲しみより衝撃的な事が、その後に起きたのです。
それは…、葬儀の会場で、亡くなった友人の親の『憎悪の念』が爆発したのです。
「アナタの子供が溺れなければ、ウチの子が死ぬ事はなかった。
なぜアナタは平然としていられるのか?
アナタの子供のミスが、ウチの子供の死を招いた。
その自覚があるのですか?」と
大人達が凄い剣幕で繰り広げる愛憎劇・・・
詳しい描写は、投稿の趣旨とは合わないので、控えますが
たくさんの小学生の記憶に、
凄まじいトラウマ級インパクトととなる影響を与えました。
自分が溺れそうな泳力の方が、溺れている人を助ける事は不可能に近いです。
また多少泳げるからといって、本気で溺れて暴れている人を助けようとすると、
かえって引きずり込まれ、命を落とす事があります。
日常の人助けや、誰かの面倒をみる事、カウンセリングや対人援助職の方も同じです。
自分が泳げて、なおかつ余裕がある分しか、相手を助ける事が出来ないのです。
しかしながら、自分が自爆してまで、誰かを助けてしまうとか、
助けてもしょうがない人(依存され死ぬまで吸いとられる)ような人の面倒をみてしまう…
なんて状況になってる方も多い。
ぶっちゃけ私もそうでした。
そう洗脳をかけていたのは母からの教育です。
ありがたがられる事も多いのですが、依存してくる方を益々自立困難にした事もあります。
この様な人助けは、生半可な優しさや、要らぬ手助けで、
個人だけでなく、全体の事態を悪化させ、迷惑になってる場合もあります。
「人助けをしたい!」
その気持ちは素晴らしいと思います。
私がカウンセリングを学んだ理由も、そこがスタートでした。
しかし、最初に直面するのは『自分がたいして泳げないのだ!』と言う事実です。
また出来る気になっている初学者は
『たいして泳げないのに泳げる振りをしていた』という事にも直面します。
ここに気が付いてありのままの自分を受け入れ、真剣に学習に励む方は、
自己一致しながらプロの道へ入ります。
しかし自分の不甲斐なさを受け入れられず、
『あの人が異常だったのだ』
『あの人が頑固過ぎたのだ』と
全てを相手(クライエント)のせいにしたり、
泳げる振りを続ける不安を消す為に、泳げる振りの集団演劇サークルに入会する方もいらっしゃいます。
※これはこれで、その様な段階を踏む必要がある方もいますので、否定をしている訳ではありません。
さて、私がこの投稿でお伝えしたい事は、
自己不一致な在り方から出る考えや行動は、実際に起きる出来事よりも、
事態を悪化させると言う事です。
自分を誤魔化し逃げ切っても、周りや子々孫々に影響が出ます。
上手く逃げ切っている様に見える方も、大体が違う階層の問題となって表れるので、
実際は逃げきれてはいません。
違う階層のメッセージは、因果関係が見えにくく複雑化し、本人も気が付きにくいのです。
上手く逃げ切ったかのように見えても
やがてその結果が、また自分に帰ってくるのです。
己を知る!
自己一致する!
地味な事ですが、相手をどうこうする前に必要なのです。
人助けしたい、立派な子供に育って欲しい、夫婦円満でありたい、
家族円満でありたい、世界平和を願っている。etc
それらの思いは、もちろん素晴らしい。
しかし、その思いだけじゃ難しいのです!
逆効果にすらなる。
愛が憎しみに変わることすらある。
にわか仕込みのスピリチュアルや、単発のカウンセリングスキル、
借り物の聖人の名言などではなく、ちゃんとその仕組みを学習して欲しい。
私の願いです。
・・・
・・
あ~~、今・・・・
ここまで書いて気が付きました。
これ、私の母に言いたいセリフだわ。
『アナタ(母)が周りの人の幸せを願う程に、事態が悪化している事に気が付いてよ!』
『良かれと思ってやっているけど、悪循環になっているものに気が付かないと現実は変わらないよ!』と
人助けの精神は素晴らしいのに、上手く行かない人に向けて投稿しようとしたのですが、ありゃりゃ。
こりゃ、私の母じゃないの!
皆さんに余計なもの読ませてしまったかな?
ごめんなさいね。
あ~~
母にも、泳げる振りする宗教やスピの団体ばかり通わないで、
ちゃんと学んで欲しかったなぁ。