
はじめまして、落合 香月(かづき)ともうします。
様々な葛藤を抱えながら、主婦を30年近くやってきました。
しかしそれは自慢ではなく、むしろコンプレックス・・
このページをお読みになられている方で、自己肯定感が低く自信のない主婦の方がいましたら、少しだけ私のプロフィールを読んでみて下さい。
カウンセリングを受けたり、学んだりする事で「何か特別な成果を出す必要がない」ということ。
そして誰かと比べたり、社会からの評価を気にせず、自分と素直に向き合う経験こそが
「今ある自分を許し、愛せるようになる」道のりだと言う事を感じて下されば幸いです。
【誇れない主婦歴30年、不甲斐なさのわけ】
子供が小さい頃、多くのママ友が副業を持ち、子育てと両立し活き活きとこなしているのを尻目に、私は無職だし集まりで披露出来るものも何もなく、不甲斐ない思いでした。
夫は妻が働くのに反対こそしませんが、家庭や子育てに支障をきたすのは良しとしないことを知っているので、働きに出るのは無理だと考えました。
結婚する前は、小さな会場やレストランで演奏する仕事や、料理学校に通いレストランの厨房で働いたり、東洋医学への興味から中国人の足つぼ治療師に習い施術の仕事もしたりしました。
それらを各師匠から丁寧に教わり懸命に学んだ技術はどれも奥深く、私の人生を豊かにしました。と思いたかった…。
しかし現実は厳しく、どれもモノにはなりませんでした。
カウンセリングを学んだ今だからこそ言える事ですが、私はわがままでした。
物事に真剣に取り組み、素直に自分と向き合う・・
それが奥深い職業となればなおさらです。
石の上にも10年とも言われるように、自分と向き合い、お客様と向き合い
職業と向き合い、社会と向き合う。
若い私は、どれも中途半端で諦めてしまい「仕事が人生を豊かにするほど」の状態にはなりませんでした。
その後、結婚して専業主婦になりましたが、器用に主婦業とパートや副業をこなすママ達をみて「自由に何でもチャレンジできる独身の時期ですら何かをやり遂げる事が出来なかった私が、主婦の片手間に上手く働けるはずがない・・」
旦那が「私が働く事を良しとしないだろう」という事にして、働きに出る事を避けていたのかも知れません。
【私はわがまま】
立派な大学に通わせてもらい、親からの仕送りで生活し、就職もせず、好きなことを学んでも実りがない、どうしようもないプー太郎でした。
結婚後も働かなくて良い環境なら、家事と子育てに専念すればよいのです。
それなのに私は不甲斐ない自分を隠しながら否定し、かといって自分のやりたい事に対し、前向きに行動もできない。
「私ごときが頑張ったところで、どうせモノにはなりはしない・・」
心のどこかで、そう思っていました。
この等身大の自分を否定し受け入れられないという「在り方」で、自分にも日常生活にも感謝ができない状態でした。
こんな私でも結婚出来て、旦那の稼ぎで子育てをして、働かずに三食御飯が食べれて、屋根のある家に住める。
一体何が不服というのでしょう?
それ以上を望むのであれば天罰がくだるというものです。
【天罰が現実になった日】
そして現実に、その日がやってきます。
2022年に既に進行した癌が発覚した時に、はっきりと罰だと感じました。
今にして思うと、そうやって自己を否定していれば少しは気が楽だったのかもしれません。
自分を誤魔化し続けていたのかも知れません。
この30年、他人に話せないような不満を自分自身や相手に向けて感じ続け、ちっとも幸せでないと根底で感じてきた結果が「治らない病気」であり、その理由は明らかに私自身でした。
生死の狭間を体験して、初めて「自分に向き合い始めた」のかも知れません。
そこから「病気は私が生み出したものであっても、何か目的があるのではないか?」と思い立ちました。
「このままではダメだよ!!」という身体を通じてのメッセージと捉えたら…
身体からの必死の最後の叫びだとしたら・・・
それに答えなくてはならないと感じました。
「きっと感謝が足りないんだ、私は恵まれているのだから、もっと何事にも感謝を尽くさなければ・・」
命懸けであっても、「せねば」という気持ちでは、心の根っこから感謝できるものでもありません。
しかしそれでも、形からでもいいから感謝の練習を始めました。
恥ずかしながら、この歳になって「感謝を練習」しなければならなかったのです。
それでも深く自分と向き合う事で「生まれて初めて自分の身体にも深く感謝」しました。
どんな時も黙って命令に従って耐えてきてくれたこの身体に。
【私の問題は解決していなかった】
真剣に感謝し自分と向き合う日々。
それでも、私の「不満」が解消されだ訳ではありませんでした。
得体のしれない、正体不明の感情に侵されているのを感じるのです。
そんな中で巡り会ったTMD講座。
当時は自分にどんな問題があるのかさえ気が付いていませんでした。
問題に気づくのを第①ステップとすると、カウンセリングプロセスとして第⑦ステップまであり、からまった糸を少しつづ解すように問題に取り組まなければならない事も、初めて知りました。
もちろん私が自力でやってきた、感謝するという方法で大分ほぐれたていたのは良かったのですが、プロセスとしては間違いだったのです。
心底感謝するには、過去の不満や葛藤の処理が必要で、それを行って来ないまま「感謝する」のでは心の底からの感謝にはなっておらず、スッキリ解消するはずがなかったのです。
【TMD講座での学び 】
「感謝」だけでは解決しないのは、もしかして、わたしの「…せねばならない」という強力な信念が関係しているかもしれない。このような、閃きというか、感のようなものが学びの中で段々と働くようになりました。
素直に自分に向き合うという事は、何か特別なことをマスターする事ではなく
「人の元々ある感覚が掘り起こされていくような感覚】といった方が近いです。
TMDは、精神分析の観点だけでなく、様々な心理学をベースとしたカウンセリングを万遍なく学びながら、それらを自らで実体験するカリキュラムでした。
カウンセラーとクライアントの両方が常に頭の中に存在しているような状態を体感します。このような経験はないので、全く新しい脳の回路がどんどん作られるイメージです。
ある意味パニックですが、それらの新しい回路によって今までとは違った発想が生まれやすくなりました。
そして大変驚いた事に、問題そのものが変化して行くのを感じました。
学習とリアルな実習体験により、問題の捉え方が変わると、今までとは問題の見え方が変る
問題を問題と捉える自分の考え方が変わる。
しかしこれも、TMD講座で受講生が「回復し成長する」プロセスの過程に乗っ取った変化だったようです。
カウンセリングによって、クライアントさんがそれぞれに合った道順で、ゆっくりと様々なトライをしながら旅をする内に、その旅はどこか未知の場所を目指していたのではなく、実は見えていなかった自分の奥深い部分へと向かっていたと気づく。
その懐かしい光景を目に焼きつけて戻ってみれば、ほんとうに必要としていたものが何だったのかに気づかされる…
私は「不満」を問題として消そうとしていた けれど消えるはずも無かった。
なぜなら「不満」を生み出しているのは私自身。私を消すことは出来ないから。
【問題に必ず答えがあるとも限らない】
総合的な学習と、体験を伴うリアルな実習を通じ
「正しいも間違いもない」
「問題こそが生きる意味」
というような捉え方が出来る自分になってきたのを感じます。
心の成長に伴い、表現の仕方は変わると思いますが、
「正しい!正しくない!のジャッジではなく、その問題を私がどう捉え、どう観ているのか?」
「問題自体が私を不満にしているのではなく、私がその問題をどう意味付けして体験したのか?」
「その問題にどう向き合うかで、生きる意味が変るのではないか?」
そんな仮説をたてながら、私は未だ成長途中です(笑)
正直に書きますと、他のカウンセラー仲間よりも「私はまだ抜けきっていない人間」だと自覚しています。だから、今でも「不満」は無くなっておらず「スッキリはしてない!」と胸を張って言えます(笑)
しかしそれで良いのだと思います。
学習し体験し、腑に落ちた分だけ、問題そのものにも変化が起こり「不満」の内容が変わってきています。
私は今、自分にウソをつきません。
「私にはまだ不満が残っていて、スッキリはしてない!」
それを皆さんに正直に言える事!
こうして「スッキリ」するために考え続けられる自分でいられる事。
それを共に分かち合うカウンセリング仲間がいる事。
それこそが「最高に生きてる感触」なのだと思います。
【心が求めたなら今しかない!】
私自身が器用に上手いこと生きてきた人間ではありませんから、綺麗さっぱり抜けきった「キラキラしたカウンセラー」が好みの方は、私のカウンセリングは適さないと思います。
私もそうでしたが、思うような人生が歩めていないと感じる時、遠くばかりを見ている自分に気付きます。
遠い過去の思い、この先の未来の理想が現実と符合していないと、今のありのままの自分が許せなくなってしまいます。
生産性のない自分を軽蔑したり、努力不足の自分を責めてしまう方。1人で思いを抱えてしまう事もあるでしょう。
それでも大丈夫です。
もし!この私のプロフィールが心に響いた方がいらっしゃいましたら、今しかありません。
心が何かを感じ、求める時のチャンスを逃さないでください。
自分に正直に向き合い、人生の振り返りをしてみたい方。
今ある自分を許し、愛せるようになりたい方。
何の取り柄もない私が、誠実にお話を伺います。
こんな私だからこそ、アナタがいくら不器用でも、なかなかサッパリしなくても、まだまだ自分勝手な不満が溢れてこようとも、否定せずにお話を伺う事が出来ます。
世の中には、社会的に成功していても、多くの才能があっても、楽しくない人生を生きてる方はたくさんいます。
私はその様な成功者を目指すカウンセリングはしません。
大事なのは大きな成果を出す事でも、自分の存在意義を探すことでもなく。
朝目覚めて、その1日を楽しみに思えるような日々を送ることかなと感じています。
それが簡単では無いからこそ尊いと思います。
自分と素直に向き合う経験こそが「今ある自分を許し、愛せるようになる」道のり。
私達と一緒に歩んでいきませんか?
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